2009年3月30日月曜日

ストリップ階段


M邸の造作工事がほぼ終了しました。

これは、ストリップ式の階段で、蹴込み板などが無いタイプです。

この後は、設備工事、電気工事、建具工事、ストーブ工事となります。

2009年3月29日日曜日

船瀬俊介講演会




















「買ってはいけない」シリーズでご存知の方も多いと思いますが、船瀬俊介さんの講演会に行ってきました。

「子どもたちが住環境に狂わされている!!」というタイトルでした。
F☆☆☆☆という基準値も設けられましたが、規制されているのはほんのわずかな種類の化学物質だけです。
いまだ規制されていない化学物質には、神経毒に相当するような恐ろしい物が含まれているということでした。
いかに自然素材で家を建てることが大切かということを痛感させられました。





















国土の70%もが森林なのに、材木を輸入し続けているのは何故なのでしょう?
輸出入に関わるコストのカラクリや、企業献金などの利権、いろいろと理由はあるのでしょうが、私たちは、身近に森の嘆きが聞こえてくるので、日本の木を使い続けたいと思っています。
そのために、今どき誰もやらない原木買いをし、製材と乾燥に時間をかけて、非効率ではあるものの、手作りの伝統は遺したいと思っているのです。
そこに雇用も生まれ、豊かな地域社会が実現すると思っているのですが、、、、、。




どちペインクリニック
















友人が入院した、終末期医療(緩和ケア)を行っている、「どちペインクリニック」に行ってきました。

この施設は、「玉穂ふれあい診療所」という名称で、国の基準が20床以上が病院で、19床以下は、診療所という規定があるらしい。
県に申請したところ、地域医療計画で、入院ベッドが大幅に過剰であるため、新病院建設は認められないということだったそうです。
しかし、山梨県には1床も緩和ケア病棟は無かったという。
、、、、、、?

友人は、何度かの悪性腫瘍の切除を経た後、ゲルソン療法という食事療法にたどり着きました。
動物性食品をとらず、野菜ジュースなどで、がん細胞を退縮させるという物です。
その後担当の医師も再発が無いので、首を傾げていたそうです。
それから何年かして、リンパなどに転移していることがわかり、とうとう入浴の際に自分の体が洗えなくなり、緩和ケアへの入院を覚悟したということでした。

今日もほかの病室でどなたかが亡くなったのか、廊下でご家族が泣いておられました。
入院してから何人も顔ぶれが代わり、もう古株になってきたそうです。
自分のお別れの会まで段取りしてきた、という友人は、人生で一番幸せな気がすると言っていました。そんな心持ちになれたことが本当の幸せなのでしょうね。

それにしても充実した設備で、温泉も付いており、スタッフやボランティアの方が皆親切で、自分も最後を迎えるなら、自宅かこんなところが良いなと思いました。

2009年3月27日金曜日

出番を待つ建材達














檜の通し柱と鴨居材・カウンター材




 


地松の太鼓梁と階段の親板








4寸角、6寸角の通し柱は、6mと5mを用意しています。
正味4寸が、風の森の標準仕様ですが、角柱だけ6寸角を使用する事もあります。
リクエストがあれば、すべて6寸の柱でも対応できます。
6寸の柱を使うと、真壁でも壁の厚みが取れます。

その土地その土地に生えている松を「地松」と言いますが、松食い虫の影響とか、酸性雨の影響など、各地で松の林が消えて行っています。
標高の高い地方は、まだ健在ですが、この先どうなって行くか心配です。

太鼓梁は、側面だけ製材機で平行に落とします。
上面と下面は、皮を剥いて乾燥させ、刻みの後「ちょうな」で仕上げます。

風の森の階段は、松で作るのが標準仕様です。
たまに檜で作る事もありますが、松に比べて固い感じに仕上がります。
ヤニを含んだ、なんとも飴色をした松の踏み板は、使い込むほどに味わいが出てきて、その家の歴史を記憶しているように感じられます。

資材置き場


土場と呼ばれる資材置き場に搬入された原木



製材あるいは皮むきをして乾燥させているところ


500坪ほどの敷地に、原木の丸太と自然乾燥させている材がいっぱいです。
手前の丸太は、「ふもとっぱら」という朝霧高原のすぐ脇の山から運ばれて来た物です。
ほとんど檜ですが、黒芯の杉の太い物もいただきました。

奥にある丸太は、八ヶ岳周辺の唐松です。
一般には建材として使われない物ですが、風の森ではいろんなところに工夫して使っています。
暴れると言って、木がねじれたり反り返ったりしてしまいます。
でも色つやは良いし、水に強く、固くて強い材です。
良くテラスの床板などに、木表(きおもて)を上にして使います。
木裏(きうら)と言って丸太の時に芯に近い方の面を、使用する側に持ってくると、年輪の固い部分が剥がれて来て、大けがをする事があります。


丸太梁は、表皮真皮共にむいて乾燥させています。
松の丸太などは、200年後が一番強度があると言われていますから、ちょっとやそっとでは乾きませんが、木の素性が表れてきます。
ねじれがひどく、短くしても使い物にならない物は、ストーブの薪になります。

なぜか、アンダーバーが付いてしまいました。



立ち上がりの配筋


ベタ基礎部と、テラスの独立基礎部の捨てコンが固まり、配筋の修正と土台下の風窓周りを直しています。
風の森では、基礎パッキンを使わないので、旧来の風窓を付けています。
最近は、基礎パッキンも樹脂ではなく金属製が出ていますので、経年変化でのへたりも少なくなったようですが、金属と木との相性が悪い事などから、未だに使用していません。
以前、お施主様の希望で、「どうしても基礎パッキン」と言う方がいて、その時は「栗の板」で基礎パッキンを作りました。ちょっと高価です。

2009年3月25日水曜日

カラマツストーブ


戦後、ものすごい勢いで植林された唐松が、建材には使えないという事で、間伐も進まず放置されているので、ストーブの薪にしよう、という運動が盛り上がっています。
鋳物製の高級感あふれるストーブは、赤松や唐松を焚くと、鋳物部分が変形したり、ひどい時には割れたりします。
そこで登場したのが、鋼鉄製のストーブです。
その名もズバリ、「カラマツストーブ」。

構造は、至ってシンプル。
焚き口に着いている、空気口を微妙に調整するだけ。
針葉樹は、成長も早いけど、ありがたい事に灰の量が圧倒的に少ないのです。
一ヶ月使っても、灰を捨てた事が無いということです。

ぜひぜひ、ストーブの前で「まったり」してください。


兼用薪ボイラー


これが、長府製作所製の石油兼用薪ボイラーです。
灯油のバーナーも付いていて、いざという時には、どちらでも使えるようになっています。
ノーリツというメーカーでも出していましたが、年に1〜2台しか売れないので、一昨年販売を止めてしまいました。
お湯を貯めて使うタイプなので、お湯を使っている間は一定の温度で出てきますが、蛇口を止めると、対流が始まり、急に温度が下がります。
困るのは、お風呂のシャワーなので、ここにはサーモスタット付きの混合栓が必要です。

ボイラーを長く使うコツは、沸騰させない事です。
80度くらいに押さえておくと、ボイラーも配管も傷みません。
薪の種類を選ばないので、神経を使わなくて良いのがいいところです。


2009年3月24日火曜日

折置組














完成間近の、M邸です。
コストを抑えるために、外壁は全て本実加工の5分(15ミリ)の杉板張りです。

一階の天井付近から、壁の外にぽこぽこと丸太や角材が出ているのが見えると思います。
風の森の建物は折置組という架構法で、このぽこぽこが特徴です。
縦横の梁や桁が、それぞれを欠き合わせ、段違いに組み合わせる事によって、平面剛性を高めています。

E邸の全景
















全体の大きさは、軒側4間、妻壁側6間の24坪と、後ろ側に4坪の水場があります。

8帖のスペースが、六つ併せたような、「田の字」型の家です。
二階は、小屋裏部屋のようになっています。

暖房は、「ペチカ」。ボイラーは薪炊きの貯湯式。トイレは、バイオマストイレで、液肥が取れる仕様です。
将来「半農・半X」を目指しておられるということで、大地に根ざした生き方を心がけているのが、随所に表れています。

E邸のペチカ















写真にあるのは、ペチカという暖房装置です。
昔、シベリア抑留と言うのがありました。
第二次世界大戦の後、というか終戦の混乱期に、満州から日本軍とりわけ関東軍の幹部が帰国するために、身代わりに人質に差し出したと言われている、召集令状で集められた一般の兵士達が捕虜としてシベリアに送られ、強制労働させられました。
その地で、何百とペチカを作る事を科せられた人が、無事に生き帰り、甥御さんに、これを仕事とするように伝えた技術です。

煙道の部分が、奥行き45cm、幅が1m70cmあります。
手前の白っぽい部分が、焚き口となっているところです。
圧倒的な蓄熱力で、薪の消費量が、普通のストーブの1/3程度でしょうか。
しかも、ストーブ以上に柔らかな暖かさです。
10年使って、一度も煙突掃除をした事が無いという実績です。

図面さえあれば、ご自分で手作りする事もできます。
焚き口の上に、オーブンなど試作されてはいかがでしょうか?

2009年3月23日月曜日

テラスの基礎



















テラスの独立基礎です。
地盤が軟弱な場合は、地中梁といって、立上がりのベースになる部分をすべてつなげて、不同沈下を防ぎます。
今回のテラスは、2間×5間の10坪の広さがあります。
テラスが広いと、お茶やランチをすることはもちろんですが、畑の収穫物を乾かしたり、選別したりと、様々に活躍します。
風の森では、構造材及び床板には、ハーブや鉱物から出来ているウッドロングエコというのもで防腐処理をします。
一旦処理すると、そのままメンテナンスフリーになります。

基礎の配筋



















S邸の配筋が終わりました。
スケールを当ててびっくり、ぴったり20センチ間隔でした。
これぞ、The 職人!
日本は、普通に職人が住んでいる国なのだ。
この後、奥に見えている平らな部分に、生コンという調製されたコンクリートを流し込みます。
コンクリートが固まったら、立ち上がり部分に型枠を立て、土台を支える部分の基礎を作って行きます。

2009年3月19日木曜日

柱の加工

柱の加工をしています。これはホゾ取りといって、土台や横架材などの横になる材に差し込む部分です。

手前のホゾの真ん中に、四角い穴が開いているのが分かるでしょうか?土台と柱の上に乗る横架材にも同じ位置に四角い穴をあけておいて、ケヤキで作った込み栓を建前のときに打ち込みます。建築基準法でもその強度が認められていますが、最近はほとんどが金物で済まされています。陰陽五行の法則でも、金生水といって金物のところには水が生じる訳で、金属は錆びやすくなります。また、金克木といい、金物と木は本来相性が良くありません。

最近のプレカットは、短ホゾと言って、4寸(約12センチ)の土台であっても、3寸(約9センチ)のホゾだったりします。

100年・200年の住宅を云々するのであれば、土台がへたっても、柱が下がらないように、通しホゾで芯持ちの柱を使うべきだと思うのです。

砕石地業

砕石地業と言って、基礎工事も大事な部分が終わりました。

「根切り」という表土を削り、古い地盤(地山ともいう)を出し、水平を取って、割グリという大きめの石を敷き詰め、展圧します。昔は機械がなかったので、「よいとまけ」という歌に出てくる「エンヤコラ!」です。

さらに40−0という小さめの砂利で、表面をならし、さらに展圧です。

この後は、ベタ基礎の配筋(拝金じゃない!)という作業で、鉄筋を20センチ間隔に並べて、それぞれを結束して行きます。そして家の土台がくる部分には、主筋というD13(鉄筋の太さ)の立上がりの鉄筋を、ベタの鉄筋から垂直に立てます。

この辺は面白いのですが、結構性格が出ますね。

2009年3月18日水曜日

現場ハウス

風の森では、コンセプトに合わせた現場ハウスを製作中です。ちょうど4帖あります。

プレハブのようなものでも、合板を使ったものでも、どこかしっくりしないので、自前で造ることにしました。

狭い空間だからこそ、深呼吸の出来るものでなければならないと思います。



2009年3月17日火曜日

造成工事中

セルフビルド奮闘中の、S邸の様子です。

小高い丘の上に終の住処を建てるべく、バックホーという重機で道路を造っている最中です。

側溝にヒューム管を据えて、架橋は終わりました。この後、「原石」と言われる種類の砂利を敷き、工事用の車両でも通れるような道をこしらえて行きます。

機械があるから出来るものの、スコップとツルハシではとてもとても、人生が終わってしまいます。石油で動くとはいえ、機械の力は偉大です。

2009年3月16日月曜日

長尺物の刻み

写真は、母屋という屋根を支える材の継手の仕口を刻んでいます。

杉なら杉と、檜は檜とをつなぎ合わせます。それぞれに性格が違うため、応力が加わった時に相手を壊さないようにするためでもあります。違う木を継ぐ事を「木違い」といいますが、最近は「気」と言う字が使われる現象が多くなっているようですね。

構造に使う横架材は、基本的には4mですが、使う場所や働きによって5mと6mの長尺物を使う事もあります。

長い物は取り回しが大変なので、屋外で刻みをしています。

基礎工事が始まりました。

S邸の基礎工事の様子です。

最近は様々な方法で地盤調査が出来るようになり、あらかじめ想定される地層状況に合わせた基礎工事を計画しますが、予想外の事もあります。

ここは、大泉というエリアですが、原始よりの浸食活動によって山が削られ、流されて来た石が、大きなまま残っているところです。

原村などは、比較的小さな石が多いのですが、地域によってその色にも特色があります。

地盤調査では、大きな石に当たると、固い地盤と評価され、石から外れたところは柔らかく評価されますので、併せてその土地に馴れた工事業者でないとリスクが高くなります。


2009年3月14日土曜日

春の雪

昨夜からの雨が、10時頃から雪に変わり、木々の枝に綿菓子のように積もり、幻想的な光景を見せてくれました。

森の中に暮らしていると、大自然の荘厳な様子を目撃することができます。

今年のような冬には、春のドカ雪があるのですが、本来なら雪になるような気圧配置でも、雨になってしっかりと降ったりしています。

冷夏になるのか酷暑になるのか、今後のことが心配になりますね。

2009年3月12日木曜日

丸太はつり

この春から始まる、アラカンセルフビルド!

風の森では、セルフビルドに対し、敬意を込めて応援しています。

写真は昨年から始まっている、熟年セルフビルドのお宅の栗の木を、丸太はつり機という機械で皮を剥いているところです。昨秋ご自分で伐採された栗の木を、建築に使おうという計画です。

ご自分でバックホーという重機を購入し、伐採から抜根・整地まで終了しました。これから架橋に道路工事、そして基礎工事も自分でやり遂げる予定です。(拍手)

風の森では、土台から棟までの躯体と、屋根工事を担当する事になりました。

還暦を超えての一大事業に、乞うご期待!

ちょうな

好天の続いている折に、先日加工していた、S邸の丸太梁に「ちょうな」をかけています。

丸太は直線的な平面が少ないので、「ちょうな」という最近では使われなくなった道具で表面仕上をしています。

西洋の建物を見ると同じような加工がされていますが、あちらは斧を使ったようです。

丸太は、「ちょうな」がけの後、砥の粉を塗って仕上がりです。

2009年3月9日月曜日

T様邸のその後













完成してから半年ほど経ったT様邸です。
5間×5間の25坪平屋建てです。
クラフトマンという、薪とペレットの両方が使えるストーブを導入して、この冬も暖かだったそうです。
快適と言われる事が、作り手にとっては何よりうれしい事です。

今日は庭工事の相談に行ってきました。

2009年3月6日金曜日

横架材の刻み

S邸の刻みが順調に進んでいます。

これは、杉の横架材と言われる、柱の上に乗せられる部材です。場所や働きによって、桁(けた)や梁(はり)と呼ばれます。

手前は、追っかけ大栓継ぎという仕口(木と木をつなぐ方法)を作っています。

杉などの年輪のはっきりした木材では、栓の位置を上下に微妙にずらし、割れに対するリスクを回避しています。

継手(木材のつながるところ)の位置によって、似たような仕口の金輪継ぎとを使い分けています。この辺は建前のときに紹介しましょう。

2009年3月4日水曜日

間伐とCO2















私が関わっているNPOに、「富士森林施行研究所」というのがあります。
檜や杉の原木を分けていただいている「(株)ふもとっぱら」のご縁で、木材を使う立場からということで、理事をさせていただいています。
今年もまた「間伐祭り」を3月15日(日)に行ないます。
一見矛盾するような、「木を切るとCO2削減になる」というお話しです。
木を切らずに植林する方が、環境に良いように思われていますが、日本の森林に関しては、全く当てはまらないことが多くあります。
適度な間伐をすることで、森林交代が促進され、CO2の吸収も増えてきます。年数の経った老木などは、CO2の吸収より酸素の取り入れの方が多くなる事があります。
その辺のお話しが、詳しく聞けそうですよ。

2009年3月3日火曜日

M邸にキッチンが入りました。






来月完成予定のM邸です。

大きさは、4間×5間の20坪にロフトが14帖あります。

お施主様の希望で、内外共に杉板張りです。
一階部分は横板張り、妻壁と言って、二階の三角の部分は縦板張りです。
断熱材は、パーフェクトバリアというペットボトルから再生された物です。
10センチの厚みがあり、これが超あたたかいのです。
いわば、10センチのフリースを着たおうちですから、当然ですね。

現在内装工事中です。











今日、タカラスタンダードのキッチンが入りました。
M邸は、お風呂もキッチンも洗面も、タカラスタンダード!
丈夫で長持ち、しかもローコスト!
タカラをお薦めする理由は、キッチンの裏側などでもシックハウスになるような材料が使われていないからです。

2009年3月2日月曜日

S邸の丸太梁

S邸の赤松の丸太梁を加工しています。

二階を支えるために、柱無しで空間を取るために、丸太の梁を入れています。

20帖のリビングが、柱の無い空間として出来上がります。その奥には暖房装置のペチカがあり、その上部にも赤松の力梁が架けられ、それに交差して4間の丸太が折置きで組まれてきます。


2009年3月1日日曜日

春のような日でした。

今日は、とても暖かくなり、お昼は研究所のお庭で、ガーデンパーティーでした。
すべての社会機構を、根本から見つめ直し、時代の要請に応えてゆく。という話しは、何故かワクワクしました。