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2010年12月3日金曜日

ジャメ・コンタント号

世田谷区で行われる、「現代に蘇るジャメコンタント」というイベントへの協力依頼がありました。




100年以上前に作られて、人類史上初めて時速100キロを達成したという、ジャメコンタント号です。
それに似せてボディを作り、イベントに使うという事でした。
2日に納品、微調整を済ませてきましたが、このあとリハーサルに間に合わせるために、徹夜で駆動系や電気配線をするそうです。



リハーサルの様子です。
「決して満足しない」という意味のジャメコンタント。
日本EVクラブの舘内代表が、EV(電気自動車)の歴史を語りながら、本番ではボディを取払い、月面車に早変わりするようです。
決して満足しない人間の欲望は、月まで到達しても果てしないものだったという事でしょうか?
足るを知るという事は、出来そうで出来ない事なのでしょうね。



2010年10月1日金曜日

古民家2


今日拝見した建物は、色々とユニークな部分がありました。

まず、屋根構造の一部になる出し桁という軒を大きく出す構造の部分が、4尺5寸ピッチで配られていました。
腰庇も同じく4尺5寸ピッチで出し桁を支えて軒を深くしています。
通常は6尺(1間)ピッチで構造を組む事が多いですが、出し桁を始め、部屋構造のモジュールも4尺5寸を単位にその倍数で空間をとっている部分がありました。
強度の問題ではなく、意匠として採用した単位のように思いました。
3尺ピッチというのは少ししつこすぎて、6尺と言うのも間延びした感じがあります。
平均身長との絡みもあるかもしれませんが、4尺5寸ピッチというものの美しさを発見しました。
10間半という大きさがあるにもかかわらず、とても繊細な感じを受けました。


屋根勾配が藁屋根のような急勾配ではなく、垂木も角材で1尺ピッチで配られている事から、お蔵などに多用されている、霧ヶ峰産出の鉄平石で屋根を葺いていたようです。
もちろん現在は修復されて鋼板噴きとなっています。

さてさてこの建物の行く末はどうなって行くのでしょう。
私たちも100年は十分に保つ住宅を造っていて、人の寿命より長いものがどうなってゆくのかは、とても気になります。

解体されずに甦る事を祈ります。




古民家


あっ! 激しく逆光になってしまった。

古民家を購入するにあたって、相談したいという突然の話で、現場を見に行く事になりました。
5間 ×10.5間の二階建て。
巨大と言っても良いくらいの建物でした。
大正時代の建物と聞きましたが、途中曵き家をしたり増築があったりしたようです。
構造はしっかりした物で、一部壁が傷んだりはしていましたが、まだまだ使えそうなものでした。



塗り壁も戦争中に空襲を避けるために黒く塗らされたところが名残りを残していて、歴史の証人としての重みを感じます。
古民家の改修にはとてもお金が掛かり、場合によっては新築の方が安上がりになってしまいます。
今回の物件は、4世帯が同居出来るほどですから、完璧に改修するのは気が遠くなるような労力を必要とするでしょう。
古民家の味わいを損なわないように改修すると、どうしても寒さだけは付いて回ります。
ファッションにも似て、美観と快適さを兼ね備えるのは難しいものですね。



2010年3月11日木曜日

除雪車、緊急出動。


一人暮らしのご夫人から雪かきの要請があり、緊急出動してきました。
どうしても出かける用事があるという事で、お客様の伝でお電話をいただきました。
以前ブログでも紹介した、K婦人です。

6◯歳からスノーボードを始め、今は虜になっているそうです。
お話を伺いながら、おいしいエスプレッソをいただいてきました。

私も年齢を理由に出来無いですね。
きのうも仕事関係の方から、年齢を言ったら「とても見えない」と言われ、うれしくなっています。



2010年3月6日土曜日

チキンパーティ

茨城からシャモを買って来た友人が、石釜をもっているお宅でパーティを企画しました。

日頃の仕事で詰まってしまった頭をリフレッシュすべく出かけて行きました。

良く運動したシャモは、スーパーで売っている鶏肉とは全く別もので、大変に美味でした。




2009年7月13日月曜日

ナターシャ・グジーのコンサート


チェルノブイリ発電所のあるウクライナから来た歌姫、ナターリャ・グジーのコンサートに行ってきました。

2009年5月19日火曜日

寿司パーティ



昨夜は、友人のKさん宅で日本海直送の魚介類ですしパーティが開かれました。
昨年に続いて二回目の開催ですが、今回も40名の参加でなかなか順番が回らず、お酒が先に回ってしまいました。
今回はなぜか近所の顔ぶれが少なく、東京・横浜・埼玉の人が多かったです。
美味しいものがあると、みんな笑顔になり、話題も尽きないようでした。


2009年5月3日日曜日

チェルノブイリ


風の森で大工の親方をしている遠藤が、旧チェルノブイリ原子力発電所のあるウクライナ共和国に行っています。
前々から支援をしている「チェルノブイリ救援・中部」の「ナロジチ再生・菜の花プロジェクト」のメンバーに同行した昨年に引き続いて、三度目の訪問です。
今回は、「バイオガス製造プラント」の試験モデルを立ち上げる技術者として、同じ長野県の原さんと二人で訪問しています。
「技術者と言っても、土木作業員だ!」と本人が言っていたように、現地では過酷な労働が待っていたようです。
材木を頼んでは、製材所に連れて行かれ、自分で好きなように製材して使えと言われ、砂利をオーダーすれば、トラックにスコップで手積みして持って行くように言われ、日本との違いに散々な様子です。



5月2日は、午前中で作業を切り上げ、16km離れたボロトヌィツャ村まで、2時間弱の馬車の旅を楽しんだようです。

 

訊ねた先の農家では、ウオッカをしこたま勧められ、帰りは千鳥足でバスに揺られて帰ってきたそうです。
車よりも圧倒的に馬車の数が多く、原発事故さえ無ければ、のどかで豊かな農村のままだったろうという報告です。

本当は人ごとではないと思うのですが、、、。
それにしても、誇るべき遠藤と原さんです。


2009年4月17日金曜日

誕生日

おかげさまで今年も誕生日を迎えることができました。

写真は、原村に越してきたご夫妻からいただきました。

最近よく「いくつになったのか?」と聞かれる事が続きました。特に年齢不詳ということは無いと思うのですが、頭が真っ白なのが余計に年を分かりにくくしているのでしょうか。

去年、あるイベントのために髪を染めたところ、あまりにも真っ黒くなり、みんなに大笑いされた事がありました。自分でも鏡を見て笑ったくらいですから、当然の事ですね。

顔のしわと同様、髪も白いのが自分らしさになっているのでしょう。

毎日朝起きて、健康に暮らせる事が当たり前のようになっていますが、一日一日がどれほど貴重であり、奇跡的なのかを年を重ねるほどに分かるようになってきたように思います。

友人などから「おめでとう」と言われるだけで、存在を認められているようで、若い時とは違ったうれしさがあります。


2009年4月13日月曜日

ジャムラウンジ


いろんな用事が重なって、5月の連休で店を閉めてしまうという、栃木県の益子にある、ジャムラウンジというオーガニックフードを食べさせてくれる店に行ってきました。

やはりここの食事には感動がある。15年くらい前までは、宇都宮に店があって、よくお邪魔していました。

ゴールデンウイークの後は、ご主人のインドネシア人と、お嬢さんが小学校に入るのを契機に、バリ島でコッテージをするそうです。

2007年に出た『$100で泊まれる夢のアジアンリゾート』という本の表紙も飾っていました。この「Desa Biasa」というところは、一泊5000円ほどだそうです。

あちらの木組みの家を移築したらしく、とっても雰囲気のあるリゾートのようです。

これから本格的に営業するにあたって、オーガニックフードも提供する予定だそうです。どこかで時間を作って行ってみたい!!

ウブドにも3〜40分で行けるそうですよ。行きたい人には、こっそり連絡先を教えます。

先ほどの文芸春秋の「$100で、、、」には、連絡先が間違って載っているそうです。


2009年4月10日金曜日

友人が逝きました。

今日は写真も無く、お知らせだけです。

先頃、「どちペインクリニック」というところのお話をしましたが、入院していた友人が、今日逝かれたそうです。

夕べ、8時半過ぎにお電話をいただき、「何を話すつもりか、分からなくなってしまった」と言っていましたが、お別れのつもりだったのでしょうか。
まさか翌日に亡くなるとは考えもせず、いつでもお電話くださいと言って、電話を切ってしまいました。

まだ58歳だったかな、今時にしては早すぎます。
身の回りはすべて片付け、自営でやっていた仕事もお客様がいたので閉じる訳に行かず、すべての業務を知人に引き継ぎ、何もかもきれいにして逝かれました。

「立つ鳥 跡を濁さず」とは言いますが、これほど潔く旅立たれた話は、聞いた事がありません。

まだやりたい事もあったろうし、子供の事も気になったであろうし、、、、

すごい手本を見せられて、自分も覚悟をしながら生きて行く歳になったという事でしょうか。

2009年3月29日日曜日

どちペインクリニック
















友人が入院した、終末期医療(緩和ケア)を行っている、「どちペインクリニック」に行ってきました。

この施設は、「玉穂ふれあい診療所」という名称で、国の基準が20床以上が病院で、19床以下は、診療所という規定があるらしい。
県に申請したところ、地域医療計画で、入院ベッドが大幅に過剰であるため、新病院建設は認められないということだったそうです。
しかし、山梨県には1床も緩和ケア病棟は無かったという。
、、、、、、?

友人は、何度かの悪性腫瘍の切除を経た後、ゲルソン療法という食事療法にたどり着きました。
動物性食品をとらず、野菜ジュースなどで、がん細胞を退縮させるという物です。
その後担当の医師も再発が無いので、首を傾げていたそうです。
それから何年かして、リンパなどに転移していることがわかり、とうとう入浴の際に自分の体が洗えなくなり、緩和ケアへの入院を覚悟したということでした。

今日もほかの病室でどなたかが亡くなったのか、廊下でご家族が泣いておられました。
入院してから何人も顔ぶれが代わり、もう古株になってきたそうです。
自分のお別れの会まで段取りしてきた、という友人は、人生で一番幸せな気がすると言っていました。そんな心持ちになれたことが本当の幸せなのでしょうね。

それにしても充実した設備で、温泉も付いており、スタッフやボランティアの方が皆親切で、自分も最後を迎えるなら、自宅かこんなところが良いなと思いました。